京鹿の子絞振興協同組合
技術保存委員会
手 わ ざ ・ 2
ー 染 め る ー
二冊目はおもに浸染の手順が中心、一色染め・ぼかし染め・桶絞染め・箱ローケ
ツ染め・彩色タタキ・辻が花染め等々。
その他、昭和10年前後の京都近郊の結い子、市内の漂白場・染場・下絵屋・湯
のし・解き風景の珍しい記録写真、絞り屋にとって明治以降産業化の要の商品と
なった「手柄」の写真などを集録した貴重な資料に仕上がった。
京都新聞 2012年(平成24年)6月28日 (木曜日)朝刊
読売新聞 2012年(平成24年)8月9日 (木曜日)朝刊
お問い合わせ先
075-255-0469
京鹿の子絞振興協同組合・担当井本
京都市中京区西洞院通四条上る蟷螂山町481・京染会館内
本願寺文化興隆財団 面影の復元
蓮如の道を歩む会
鹿の子の面影 白藤山超勝寺
蓮如六才の頃、元々本願寺の仕女であった生母妙好人才市は在如に縁談が持ち上がった時、絵師に描かせた幼い蓮如。鹿の子の小袖を着た寿像を抱いて、彼女は故郷である備後鞆の津へ立ち去ったと伝えられている。
平成10年には蓮如上人五百回遠忌法要で能楽師青木道喜氏が新作能を書上げ蓮如が宝生閑、母菩薩が前片山九郎右衛門で西本願寺で演じられ記憶に新しい。
今回、「蓮如を歩む会」を主宰する友人の大谷祥子さんに定期講で京絞りの話をして欲しいと依頼があった。何時もながら唐突話に戸惑ったが、鹿の子姿の蓮如さんの絵の写真を見せられ、驚き思わず引き受けてしまった。
取り合えず蓮如さんゆかりの逸話が多く残る福井へ。白藤山超勝寺で蓮如さんが描かれた掛け軸を見せてもらった。
船鋒にて旭光の剣が映る
今回復元に協力してくれたのは、鹿の子絞りは大西妙子さん、染は木村染工の木村隆男さん
本来は自分で染めようと下準備をしていたのだが、大量の水はともかく通常の絞り染めではありえない80度以上の高温で30分以上染めることは俄染屋ではままならない。植物染料の経験が豊富な木村さんに相談し染め上げてもらった。
まず、数日間事前に染付が良くなる様に白目を溶液に浸けてカチオン化(接着剤のようなもので+イオン化にする事)する。 数日後良く乾かしてKLC=N剤に7,80度のお湯で15分から20分かき混ぜ濃染処理で下準備。
水洗いして後5,60度に沸かしたお湯にアニノールPH(これも濃染剤)と同時に煮出した蘇芳の液汁を混ぜ合わせ生地を浸けて染める。
多分この段階までは自分で出来ると思ったが、実際染めて見るとなかなか濃度が上がらずアルミの焙煎でも発色しない。鹿の子絞りは長時間染め続けると白い部分にまで染料が浸透し、ただのシワに成ってしまう。
木村さんの染場には水蒸気加熱機という絞り染めに適したものがあり、直径80センチ深さ100センチほどの鍋の温度を一瞬に上昇させる事が出来る。何度かアルミ焙煎を繰り返し見事蘇芳色が現われた。
絞り染め 伝統工芸士
木村染工 木村隆男
麻地蘇芳染 染め上がり解き前
きものSalOn-春から夏へ 板場の仕事
桜舞い
小帽子絞りに金銀箔と刺繍を配した附下小紋。
20代後半、仕事が終わると北本さんとよく型彫師故・桝本稔氏の工房を訪れた。
突き彫りの名人で直接、型紙に簡単な下絵を描き上げると、穏やかな笑顔は一新、形相が変わり一気に彫り上げる。その直線的な姿はさながら棟方志功の如く、二人で息を呑んで凝視。
仕上がった数枚の葉摺り用の型をどのように丸刷毛で摺り上げるかは北本さんの腕次第、彼の静かな緊張が体に伝わった。
板場友禅工芸士
北本益弘
染技連の小袖の復元や細かい摺引田など、難度の高い仕事をこなす。
HP・きものSalOn2012年・春夏号