誰が付けたか、葉の形、群れる姿が小鮒の群生に似ているから小鮒草。
子供の頃、小川でよく小鮒の群生を見ましたが確かに。
2023年に収穫乾燥保存してあったものを煮出しました。
色素は褪せる事無く、落ち着いた綺麗な黄色に。
小鮒草は『黄八丈』の鮮やかな織物で有名ですが、堅牢度も高そうで硬質な黄色に感じます。
傾城小紫、伊藤小太夫紫が流行らせた紫と同様、古くは武家、大名の衣装が、江戸後期に浄瑠璃『恋娘黄八丈』で衣装に使われ、歌舞伎などにも町娘として華やかに多くの場面で飾られた事で、江戸中大流行になったとか。
2019年、最初で最後の『日本橘染め展示会』を催していた所、吉武利文氏(橘研究家)と再会。
入手を諦めていた日本橘、
氏の紹介で戸田森林組合の長倉氏をご紹介頂き、それ以来毎年剪定された貴重な戸田の橘を分けて頂いています。
四季折々の橘を染めましたが、やはりこの時期が橘の色素?にとっても、気温水質が丁度具合良いのか絹が綺麗に染まる気がします。
橘のさやけき花は、文化勲章のモチーフに。
500円玉の模様にも橘、橘。
香りから原点回帰を促すブルースト現象。
田道間守が常世国から天皇のために持ち帰った『非時の香果』、そして田道間守はお菓子の神様に。
などなど、古代より日本文化を静かに深く繋いだ橘、吉武氏のお話は尽きません。
葉の染色は緑味の黄色で香りは艶やか。
枝は、淡い黄色で香りはつんっと強く、
茎は、深い黄色で香りはまろやか。
今、私の工房は
橘の香りが充満中。
気力、体力充電中。
今年は12月末まで、お世話になっている御寺様で収穫出来た梔子。
紬地、オーガンジー、刺繍糸、絞布、平綸子裂、紋意匠裂等、染めやすいので色々と試してみました。
染液は酸化しづらく?3日経ってもまだ綺麗な黄色が染められます。食材にも良く使われているのがわかる気が。
と、そこにカスタードプリン。
『花冠』主人松本栄文氏から、京都の知人の皆様へとグランプリを取られた出来立てホヤホヤプリンが届きました。美味い
学生時代より、『食』で地域起こしをして来た松本栄文氏、
屋久島から目黒、ここ10年は千葉の佐原、そして多摩地区と何店舗
オープンしたか数え切れませんが、何時休んでるか分からない人。(たまに倒れてるが直ぐ復活してる)
今年は久々に京都にお帰りあそばさせるとの事。大変楽しみです。
年末年始は、漆木(芯部分)染めで。
12月に各地から届いた染織用草木は、漆、日本橘、櫨。
地元京都で、梔子、小鮒草。
どれも様々な色。
漆木は、2024年11月に山形県長井市草岡森林様に伺い、日本漆総合研究会の蜂谷哲平先生(漆作家)が漆の木を剪定するからと伐って分けて頂いたもの。
漆染の試作は、絹素材によりかなり異なり、生地は深い黄から黄土へ、刺繍糸は黄金色に。
絞り染め後、更に京北の型染め作家赤坂武敏さんの元へ参ります。
ご協力作家様各位、芯の部分は”かぶれ”ませからご心配無く。
8月31日〜9月2日まで、奇跡的に無事関係者が集い、開催されました。
30日前日入りせねばならず、午前中公共交通機関が止まっていたため、台風に向かって手立てが不安。
服部秀司氏のご協力で車で何とか無事出雲入り出来ました。
草木工房山崎和樹氏は東京から、京大名誉教授矢崎一史氏も又仙台から無事に到着されました。
29日舟木氏、矢野氏お二人からの連絡で「北島國造様にて神事お祓いを受け後、暗雲の空から陽光が射しました」
と言う言葉に誘われ、皆様出雲入りを決行され集られたのだと思います。
講演にも地元の方は勿論、遠方よりも多くの方々が参加頂きました事、大変感謝致します、ありがとうございました。
出雲根紫、又京都での日本茜の生産者の方々も同じくですが、情熱、天命のような思いは、少しづつではありますが、広がって行く事を確信しています。
シンポジウムに参加したと云うより、神事に参加させて頂いた思いです。
灼熱の夏を待てず、、、
催しがあり諸事情もあって、藍染。
どの天然染料も総絞りを染めるには、そこそこの量と白目(括った状態)の染色前処理に時間が要するので、タイミングが悩み所。
京都で唯一?世界で唯一?、水田で藍を育て続ける保津藍さんの元へ。
若い女性主人は、数年前働き盛りの師匠 お父様を亡くされてから現在まで、無我夢中で工房を守り頑張っておられてます。
大正時代まで続いた京都市九条辺りで広大に栽培されていた「京の水藍(水田藍)」。
諸説あるけれど、現代版水藍に挑戦し続ける保津藍さんには、敬意を表します。
果実を採取すると和蝋燭の原料に、ビン髪油などなどにも古から仕様されている優れた木。
櫨染めに蘇芳を染め重ねたら「黄櫨染こうろぜん」。
鹿の子絞りに櫨染め後、蘇芳をかけて、、、思ったけれど、
特別な式典に天皇陛下が着用される植物染め「黄櫨染御袍」の禁色。
蘇芳を煮詰め出したところで、畏れ多くなってきて止めました。
「櫨」、一色だと黄土色、本疋田に染めると、それはそれで鮮やかで綺麗。
日本橋丸善にて、、間に合うか。
年末12月に収穫された茜を土付きで三週間ほど日陰干し、800g乾燥した根を20℃ほどの水で戻し、
細かく刻んで3日間水に浸した。
毎朝水を換え黄味をゆっくり排出した後、40分間80℃~90℃で火にかけて色素を抽出。
生地は、塩野屋 服部創半氏が以前京都の蚕、「都浅黄みやこあさぎ」で織った生地「練貫ねりぬき」。
縦糸に生糸、緯糸に練糸を用いた平織の極上絹。
光沢が素晴らしい。
室町・桃山時代頃までの、現存する絞り、辻ヶ花や縫箔の小袖はほとんど練貫が使われている。
江戸時代以降の小袖は綸子・縮緬地に変わって行くが。
日の丸柄の帽子絞りも芯の寸法、縫い方、括り方、染める時間、回数も変えて試してみた。
絞り草木染めに於いては、試作の資料がたまる、たまる。
試作で一生終わりそう。日本茜日本茜
けして、多くの植物染料を経験したわけでは無いが、、、
今回は、サンプルを色々な手法・素材で、取れば取るほど混乱する。
ピンクになったかと思えばオレンジに、はたまたイエロー、エンジ色。
わがままな茜根ちゃん
長~いお付き合いになりそう。




万葉の草、「山藍」を摺り染めする衣の復元工程に、今回有り難くも立ち会う事が出来た。
染の源流である山藍生葉の「摺り染め」。
復元したのは、北本染芸 北本氏
■山藍■
蓼藍とは、別種でインディゴは含まない常緑草。雪山枯れ葉の中でも、ひときは青々と輝き可憐な花を咲かせていた。
現在は特に社寺林や遺跡など聖域で守られていて(岩清水八幡宮など)、なかなか身近に見れなくなったが。(子供の頃隣の松尾大社の裏山に群生してた気がする)
■胡粉■
今回復元された「小忌衣」の特異性は、大嘗祭では山藍は使われ度々作られているが、明治から令和まで省略されている加工(麻生地を表裏胡粉で厚く引き染め)を北本さんが苦労して再現仕上げた事。
さらに雲母(きら)を丁寧に振り着けられた衣は、まさに「浄衣」。









